東日本大震災発生直後の通勤の記憶、志木駅は遠かった。

東日本大震災発生、会社に行くためにどうしたかを振り返る。

2011/3/11に発生した東日本大震災によって、東京圏の鉄道は全面的に運休となってしまいました。私は会社からふじみ野を目指し、いったん池袋までの11kmを約2時間かけて歩きましたが、足の豆の痛みのため、ふじみ野まではいけないと判断し、そこから4kmはなれた豊島区内の実家に向かい、そこで1泊してから翌日運行を再開した鉄道各線によってふじみ野に戻りました。
池袋からほぼ山手線に沿って東に向かったのですが、駅間でとまったままの湘南新宿ラインの電車も何本かあり、乗客は線路を歩いたのだろうな、などと考えつつ、歩き続けました。途中でマクドナルドがあったので、ハンバーガーなどを買うことができましたが、ほっとした気分で食べたことを思い出します。

都内の幹線道路を歩いているときは、コンビニやレストラン、居酒屋などが開いており、呼び込みをしている店もあるくらいで、そのときは甚大な被害が出ていることなどはあまり考えなかった記憶があります。都区内は停電しなかったのが不幸中の幸いだったと思います。
道路は軒並み渋滞していました。唯一の公共交通機関となった都バスや都電は、ものすごい混雑でした。バス停も長蛇の列になっていましたが、乗れるまでには相当な時間がかかりそうでした。

都内から徒歩で戻られた方も少なくなかったと思います。

週明けには、計画停電が始まり、東上線は麻痺状態になってしまいました。とても都内の会社に通勤できる状態ではなく、とはいえ仕事はたまっていくので、私は仕事で利用しているノートPCの持ち出しの許可を受けて、取りにいくことにしました。
3月15日(火)、昼頃池袋〜志木間で折り返し運転をするということで、ふじみ野の自宅から志木まで歩き、会社でノートパソコン一式を持ち帰り、志木から自宅まで歩くというプランを立てて、実行しました。

私は志木を目指すのにほぼ自分の勘に頼って歩いたため、1km以上余計に歩く羽目になりましたが、そのために様々な街の様子を観察することになりました。ちょうどスーパーマーケットが開店する時間にあたっていたため、店の前に長蛇の列になっているところもあれば、店内が大混雑のお店があったり、逆にすいているお店もあったりといろいろ見ることができました。
ガソリンスタンドは、給油待ちのクルマがすごかったです。

当時の勤務先の近くのコンビニでは、食品がほぼ売り切れでしたが、飲料は、乳製品以外は普通にあった記憶があります。

しかし、15日といえば、原発が水素爆発した日で、ようやくたどり着いた会社は臨時休業の張り紙があったりと?な気分でした。残っていた社員は数名で、1人良く知っている人がいたので事情を聞きましたら、よくわからないが原発で大事故があって危険なので、すぐ帰れという命令が朝9時半ごろ出たらしいのです。
しかし、私がそれを知る由もなく、まあノートパソコンだけ回収できたのでいいや、という感想でした。
蛇足ですが、多少は放射性物質を吸い込んだかもしれません。数値はそれほどでもなかった(人によって考え方があるみたいですが)ですし、それはあまり気になりませんでした。

ノートパソコン一式をもって志木まで戻り、ふじみ野の自宅に戻るためには、県道ふじみ野朝霞線をメインに使えばよいだろうと目指せばよいだろうということで実践し、ほぼ最短距離で戻ってくることができました。行きもそうすべきでしたね。

みずほ台くらいまでは、志木から歩いている人も結構いらっしゃいましたが、その後はあまり見ることはなく、私だけがひたすら県道をふじみ野に向かって歩く状況でした。途中で、小学校ではいつもと変わらない体育の授業をやっているのを見たりしながら、午後3時頃に戻ってきました。幼稚園にお迎えに行ったお母さんと子供たちもすれ違ったりして、いつもとあまり変わらない富士見市内だった気がします。

19日から東上線が大幅減便ながら運行されることになり、彼岸明けからは大混雑に閉口しつつ、通勤を再開しました。

あれから、15年。
職場は変わりましたが、東京都区内に通勤していることは変わっていません。
退職まで、大規模災害が発生しないことを祈るのみです。

・作成履歴

2009/10/11初版作成、2025/2/15改訂

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